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Sinead O'connor(シネイド・オコナー)のインタビューにて  ~通訳者の苦労話 その6~

有名人のインタビューなどに呼ばれる事も多い通訳者。でも話題が思わぬ方向に行くと... 今回は、先日亡くなられた Sinead O'connor(シネイド・オコナー)さんのインタビュー、そして映画「ビューティフル・マインド」の主人公のモデルとなったジョン・ナッシュ教授のインタビューで実際にあった「通訳泣かせ」の事例をご紹介します。

メディア・インタビュー

弊社 代表であり現役通訳者でもある右田アンドリュー・ミーハンは、今までにも様々なスポーツ選手、アーティスト、ハリウッドスター等のメディア・インタビューで通訳を行ってきました。

最近では、台湾のデジタル担当大臣であるオードリー・タン氏のメディア・インタビューで、右田は通訳を務めています。

ところで、メディア・インタビューとは、テレビやラジオ、雑誌、新聞、Webマガジン等、様々なメディアによる取材 / インタビュー全般を意味します。

複数社のメディアが参加し、開かれた場所で、多くは短時間で行われる「記者会見 / Press Conference」も広い意味ではメディア・インタビュー / Media Interview の1つですが、基本的にメディア・インタビューは、取材対象者に対して1社のメディアや1人の記者(インタビュアー)が行うことを指す場合が多いです。

メディア・インタビューでは、媒体や状況、取材が行われる環境によって逐次通訳(話者の発言の後に通訳者が訳す方法)か、同時通訳(話者の発言と同時に通訳者が訳す方法)が選ばれます。

Sinead O'connor
(シネイド・オコナー)
のインタビューにて

※Sinead O'connorのカタカナ表記は、シニード・オコナーやシンニード・オコナーなど、複数の表記がありますが、本記事では「シネイド・オコナー」としました。また以下より英語表記のみ・敬称ナシでの表記となりますことご了承下さいませ。

アイルランド出身のシンガー Sinead O'connor は、1987年にアルバム『The Lion and the Cobra』でデビュー。

1990年リリースのセカンド・アルバム『I Do Not Want What I Haven't Got (邦題:蒼い囁き)』からのシングルで、プリンスの楽曲である「Nothing Compares 2 U」のカバーが大ヒット、一躍世界中に知られるアーティストになりました。

右田アンドリュー・ミーハンが、Sinead O'connor のインタビューで通訳をしたのは、ハッキリした事は覚えていないそうですが、ちょうど通訳者として活動を始めた頃、1994年前後の事だそうです。

アイルランドにもルーツがある右田は、彼女の音楽が大好きでアルバム等もすべて持っていました。

ですので、インタビューの通訳依頼が来た時には、大変うれしく、また Sinead の音楽も聴きこんでいたので「きっとうまくやれる!」と思ったそうです。

ところが、それが思わぬ「落とし穴」になってしまった...とのこと。以下は右田本人からのコメントです。

思わぬ話題

先日お亡くなりになった Sinead O'connor ですが、もう随分前にの話になりますが、通訳を始めた頃に雑誌の取材インタビューで通訳を担当させて頂きました。

私は彼女の音楽が大好きで、アルバムのCDも全て持っていました。ですから、彼女の通訳には自信があったんです。

でも丁度その取材の少し前くらいから、Sinead はメディアでも風変わりなことをし始めていて、インタビューでも「その行動」に対する質問が出たのです。そして、そこから私の通訳の雲行きが怪しくなったんです...

参考:アイルランド出身のシンガーソングライター、シネイド・オコナーが56歳で逝去。その功績を辿る(7月 27, 2023 uDiscovermusic.jp)

Sinead は、彼女の行動に対する抗議や取材などで精神的に参っていたのだと思いますが、記者の質問に対して、アイルランドやイギリス、ヨーロッパの長きに渡る宗教に関連した、ダークでディープな話題を物凄い勢いで話し始めました。

雑誌側が、それについて詳しく聞きたかったのかはわかりません。でも、一旦そっちへ話が流れ始めると引き返そうにも、もう舵取りができません。

よく覚えてるんですが、数回機転を効かせて話を立て直そうとしたんです。しかし Sinead は聞く耳も課さない状態でした。

私も必死になって通訳を続けましたが、世界史や宗教が中心の話です。歴史や宗教周りの噂やニュースは、それなりにチェックしていましたが、私は世界史は不得意、英国史なんて一定知識しか知りません。

また日本語で英国史やキリスト教の歴史を説明する機会がこれまで無かったので、私の口からまともな日本語が出てこず、カタカナ100%に近い状態の通訳しか出来ず...。

このインタビューは逐次通訳で行っていたのですが、Sinead はこの話題に関しては延々と話しているし、また雑誌側も「通訳さんを入れてください」と言ってもくれない。

もう困り果てて急遽通訳を同時通訳へ変更したら、インタビュー内容を録音しているので、私の日本語が Sinead の声(英語)にかぶるから止めてくれと言われる始末。

話の切れ目がないので、逐次では通訳出来ないので同時通訳させてほしいと雑誌社の方にお願いしたのですが、残念ながら聞き入れてもらえませんでした。

仕方ないので、後はやれるだけのこと= best effort で通訳しましたが、本当に後悔と反省の残るインタビューとなってしまいました。

後で気が付いたのですが、Sinead はその頃メディアから遮られることも沢山あったので、おそらく、無視できるものは通訳者からのお願いでも無視したのではないでしょうか。または話に夢中になりすぎたのか...

失敗から得た学び

  1. どんなに簡単そうな案件でも甘く見ないこと。
  2. トラブルやハプニング防止策として、事前にメディア側と通訳の入り方・入るタイミング、ハプニングの際には逐次から同時への切り替えはOKか否か等を決めておくこと。
  3. どんなに相手(取材対象者)が通訳入りの取材に慣れていようとも、念のため、インタビュー前の挨拶の時などに、区切って話してもらうようお願いすること。
  4. 準備してない予定外トピックが出てくる事も想定して、取材前に様々なシナリオを考え、少しでも関連する事があれば併せて準備すること。
  5. どんなに簡単だとクライアント / メディアから言われても、打ち合わせはしてもらうこと。想定質問リストは事前にもらうこと。(取材の方向性をすり合わせておくこと)

右田アンドリュー・ミーハン

ジョン・ナッシュ教授の
インタビューでの通訳

弊社代表 通訳者の右田が、Sinead O'connor のインタビューで大変な想いをした話をご紹介しましたが、自分が情熱を注いでいることや、熱中していること、専門分野になると思わず熱くなって話が止まらなくなるケースはよくあります。

通訳者が入っていない場合は(取材時間のオーバー等の問題はありますが)、それでも何とかなったりします。

しかし通訳者が入る場では、通訳者が苦労するのはもちろん、聞き手も話している意味も分からず、ただ「ポカーン」とするしかない状態になりますので、なかなか辛いものがあります。

続いての「通訳者の苦労話」は、2001年公開・ラッセル・クロウ主演の映画「ビューティフル・マインド(原題 A Beautiful Mind )」で主人公のモデルとなったジョン・ナッシュ教授(John Forbes Nash Jr.)のインタビューで、右田アンドリューが経験したエピソードです。

ジョン・ナッシュ教授 とは

ジョン・F.(Jr.) ナッシュ
20世紀西洋人名事典 / コトバンクより

米国の数学者。
ゲーム理論における貢献で経済学者の間では著名。ナッシュの交渉解の概念とナッシュ均衡(クールノー=ナッシュ均衡)で知られる。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BBF.%28Jr.%29%20%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5-1627361

ゲーム理論【ゲームりろん】
game theory
百科事典マイペディア / コトバンク より

複数の主体が相互依存関係のもとで,いかなる行動をとるべきかを考察する理論。数学者J.L.フォン・ノイマンと経済学者モルゲンシュテルンの研究に始まり,ナッシュ,ゼルテン,ハーサニーによって均衡概念が提唱,精緻化される。

1980年代以降,経済学の多くの分野において応用され,その領域はミクロ・マクロの経済理論,産業組織論,企業組織論,国際貿易論など広範にわたる。

代表的なゲームとしては囚人のジレンマが有名で,このゲームでは利己的な2人の囚人が互いに協調した方が双方にとってより好ましいにもかかわらず,互いに裏切って,より悪い結果に落ちついてしまうジレンマをいう。

このゲームを繰り返し行うことで協調関係が生まれる可能性がでてくることが証明されている。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E7%90%86%E8%AB%96-178970

ゲーム理論

映画「ビューティフル・マインド」が公開された年、2001年か翌2002年に、日本のある精神医学会の先生がジョン・ナッシュ教授とのインタビューを取り付け、渡米しました。

ナッシュ教授はその頃、まだプリンストン大学に在籍しており、研究室もありましたが、70代でしたので話すスピードもゆっくりしており、全体的には「通訳で苦労をした」と言う印象はありません。

※ジョン・ナッシュ教授は1928年6月13日 生まれ。1994年にゲーム理論の経済学への応用に関する貢献によりラインハルト・ゼルテン、ジョン・ハーサニと共にノーベル経済学賞を受賞。2015年には非線形偏微分方程式論とその幾何解析への応用に関する貢献によりルイス・ニーレンバーグと共にアーベル賞を受賞。2015年5月23日逝去。

しかし、大きな功績を残した「ゲーム理論」の話になると、夢中になり、どんどん専門的な話をし始めたので慌てました。因みにこのインタビューも逐次通訳でした。

幸い、私は大学でゲーム理論を学んでいたのでついていけましたが、それでも相手は専門家の中の専門家ですし、やはり得意分野の話なので専門用語だらけになったり、話すスピードも速くなったり、通訳を入れるのを忘れがちになったり...

でも、こんな時こそ通訳者は慌ててはいけないんです。

間に立つ、間を取り持つ役目の者は、他の誰よりも落ち着いてることが、周りの全員から暗黙の了解として求められています。これは通訳者も同じ。落ち着いた姿勢、態度、話し方が常に求められます。

もちろん、私も常時できている訳ではありませんが、この時はなんとか「落ち着いて」対処する事が出来ました。

失敗から得た学び 2

難しくなったら逐次通訳は、かいつまんでの通訳 / best effort 型通訳に徹するのが大事です。

先程も言いましたが、事前にさらっと「通訳が入るのでお願いします」とインタビューする側・される側に断りを入れておくのは大事ですが、話に夢中になったり、制御がきかない場面において「お願い」が聞き入れられる確率は、五分五分かそれ以下です(苦笑)。

ですので、通訳者の労働条件としては劣悪にはなりますが、劣悪だと思わず、怒らず、落ち着いて、交わされる「言葉」にだけ集中して場を凌ぐことが大事です。

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