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ドラマ「津田梅子 ~お札になった留学生~」

広瀬すず主演 スペシャルドラマ「津田梅子 ~お札になった留学生~」が、2022年3月5日テレビ朝日系列にて放送されました。その津田梅子が設立した私塾「女子英学塾」を前身とする津田塾大学は、多くの通訳者や翻訳者を輩出。現在も英語英文学科には、翻訳・通訳プログラムがあります。今回のブログでは、津田梅子及びその時代について、通訳/翻訳者の視点から少しご紹介したいと思います。

津田梅子
~お札になった留学生~

こちらは予告編のTweetになりますが、2022年3月5日テレビ朝日系列で放送されたスペシャルドラマ「津田梅子 ~お札になった留学生~」。

ドラマでは、津田梅子をはじめ、10年に渡りアメリカ留学を果たした山川捨松、永井繁子(ドラマでは永井繁)、そして1871年(明治4年)に梅子たちと一緒に渡米したものの、1年足らずで帰国してしまった吉益亮子(ドラマでは吉益亮)の、日本で奮闘する姿が描かれていました。

なお、同ドラマはTVer / GYAO / ABEMA TV にて視聴可能です。
※視聴期間及び視聴方法については、以下各社ページにてご確認下さいませ。

史実・概要

詳しくは歴史等を解説するWebsiteや書籍にお任せするとして、ここではザっと津田梅子をはじめとした米国女子留学生の史実をご紹介します。

彼女達は1871年(明治4年)に、明治新政府の外務卿であった岩倉具視が特命全権大使を務める「岩倉使節団」と共に、横浜港を出港しました。

その時、梅子たちも含めた留学生は総勢43名、イギリスやドイツ、ロシアにも留学をしましたが、アメリカが1番多く14名。しかし女子は梅子を含む5名のみ、全員アメリカに留学しました。

左から:永井繁子、上田貞子 、
吉益亮子、津田梅子、山川捨松
引用元:wikipedia

この岩倉使節団でアメリカに留学したのは、上田貞子(当時16歳)、吉益亮子(当時14歳)、山川捨松(当時11歳)、永井繁子(当時10歳)、津田梅子(当時6歳)。

そのうち、年長であった上田貞子と吉益亮子は、体調不良にて1年も経たないうちに帰国。

永井繁子は、津田梅子や山川捨松と共に10年アメリカで過ごし、1881年(明治14年)ヴァッサー大学(Vassar College) 音楽学校を卒業後 帰国。

津田梅子と山川捨松は在学中であった為 帰国を1年延長し、1882年(明治15年)それぞれの学校を卒業後、帰国を果たしています。

津田梅子の生涯については、津田塾大学Websiteでも詳しく紹介されています。

津田塾大学 Website 津田塾の歴史
津田梅子について -女性の力にかけた夢-

https://www.tsuda.ac.jp/aboutus/history/index.html

津田梅子が
再留学した理由

津田梅子は1882年に1度帰国をしますが、その後1889年~92年にかけて再度のアメリカ留学をしています。

再び梅子が留学をした理由は、最初の帰国の際に目の当たりにした、アメリカとの文化のギャップ、特に当時の日本の女性が置かれた状況を何とかしなければならないと思ったからと言われています。

因みに津田梅子は、1889年2度目の渡米ではブリンマー大学(Bryn Mawr College) にて生物学を専攻。後にノーベル生理学・医学賞を受賞するトーマス・ハント・モーガン(Thomas Hunt Morgan)に就いて学んでいます。(トーマス・ハント・モーガンは1933年にノーベル生理学・医学賞を受賞)

なぜ、そんな高名な先生に学んだのに、帰国後 梅子は生物学者への道を歩まなかったのか?については、2022年1月21日に東京大学出版会より出版された「津田梅子: 科学への道、大学の夢」にて紹介されています。

電子書籍版もありますので、ご興味のある方はチェック下さいませ。

Amazon
https://amzn.to/3J3t3gj

異文化
意識の改革

さて 6歳で渡米してから11年、アメリカで過ごした梅子が、1982年に帰国した際に受けたショックとは、どういったモノだったのでしょうか。

少し話は横道に逸れますが、津田梅子の父、津田 仙(せん)は若い時にオランダ語/英語を学び、江戸では蘭学塾へ入門。

NHK ドラマ『わげもん~長崎通訳異聞~』では小池徹平さんが演じた オランダ通詞 森山栄之助の下で英語などを学んでいます。

1861年には外国奉行の通訳として採用され、1867年 幕府発注の軍艦引取り交渉の際には、福澤諭吉、尺振八と共に通訳としてアメリカに随行しています。さらには青山学院大学の創立にも関わっている人物でした。

津田梅子の父、津田仙と青山学院
AOYAMA GAKUIN PLUS

https://aogakuplus.jp/story/20190427_03/

ところが、そんな海外文化つまり異文化にも詳しい津田 仙であっても、ドラマを御覧になった方ならお分かりの様に(ドラマはあくまで史実を基にしたフィクションではありますが)、梅子とは確執があった様です。

その確執とは、ドラマの様に当時の常識であった「結婚」に対する考え方や、価値観の違いが理由だったのでしょうか? 実はそれについての詳細な記述や資料は無いと言われています。

しかし、異文化にも精通する父親とも確執が生まれてしまうのであれば、当時の日本の社会に対する梅子の違和感、特に女性の立場に対する反発や不満はさぞや大きいものであった事は、想像に難くありません。

ある意味、津田梅子にとっては日本が異文化になってしまっていたのかも知れません。とは言え、自国=日本が発展する為には何が必要か?彼女は考えたのでしょう。

その結果 ドラマでも描かれていましたが、梅子は「言葉」つまり英語だけを身に付けたり、ダンスや西洋のマナー=形だけを習得するのではなく、当時の女性たちの意識の改革が必要だと感じたのだと思います。

本当の意味で異文化を理解し、コミュニケーションを図り、他国と肩を並べるには、女性の、社会の意識改革が必要だと。それをなし得る為には、2度目の留学が彼女には必要だったのでしょう。

「女子英学塾」から
津田塾大学へ

津田塾大学Website の、同大学の歴史を紹介するページには以下の様な記載があります。

女性の高等教育をめざす私塾「女子英学塾」として、1900年に産声を上げた津田塾大学。

創立者・津田梅子は、女性の地位向上こそ日本の発展につながると信じて、「男性と協同して対等に力を発揮できる女性の育成」を目指し、女性の高等教育に生涯を捧げました。

https://www.tsuda.ac.jp/aboutus/history/index.html

その津田梅子の教えを祖とする津田塾大学は、多くの通訳者/翻訳者を排出しています。

映画字幕の第一人者 戸田奈津子さんも卒業されていますし、国際連合東ティモール平和維持活動官房長を務めた黒田順子さん等、通訳者/翻訳者だけでなく、海外と日本を結ぶ場面で活躍する多くの方々が津田塾大学を卒業されています。

弊社代表 通訳者の右田アンドリュー・ミーハンは、1990年代 通訳者/翻訳者として駆け出しの頃はアメリカ・ニューヨークで活動をしていましたが、その時 津田塾大学出身のニューヨークや、ワシントンDCで活躍されている通訳者の皆様に色々と教わり、学び、大変お世話になったと話していました。

現在、学芸学部 英語英文学科には 翻訳・通訳プログラムがある他、多文化・国際協力学科国際関係学科などもありますし、大学院には国際関係を広く俯瞰して自らのテーマに取り組む 国際関係学研究科 もあります。

言葉や形だけを身に付けるだけではなく、意識を変えて、異文化とコミュニケーションを上手く図りながら、世界で活躍する。そんな津田梅子の教えが、現在も津田塾大学には根付いていると感じずにはいられません。

2024年 新紙幣

最後に、ドラマのタイトルにもあった「お札」ですが、2024年に発行される新紙幣には、1万円札が渋沢栄一、千円札には北里柴三郎、そして5千円札には津田梅子の肖像がデザインされています。

国際女性デー

先日、3月8日は国際女性デー(International Woman Day)でした。日本では通訳 / 翻訳者として、多くの女性も活躍しています。

言葉や文化の違いだけでなく、ジェンダーの差も乗り越えて活躍した津田梅子。

ミーハングループは、彼女の精神を引き継ぐ皆様とこれからも協同し、「文化・ビジネス・心の橋渡し」をモットーとした、言語サービスを多くの方に提供していきたいと思っております。

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