司法や裁判の場における独特の言い回し、つまり「法律家の話し方」が通訳者を悩ませる事は良くあります。今回のブログでは以前弊社Facebookに掲載した、金城学院大学文学部 英語英米文化学科 水野 真木子教授 による「司法通訳コラム」より、「二重否定」そして「通訳不可能な話し方」についてご紹介します。
法律家の話し方
法廷において、法律家(弁護士及び検事)は非常に独特な言い回しをする事があります。
いわゆる「法律家の話し方」です。相手から証言を引き出そうとする場合、依頼者の利益をまもる場合、非常にトリッキーな話し方をします。
一聴ではわかりづらい話し方ですが、その裏には話者の様々な意図が隠されています。
ミーハングループ Facebook では以前(2015年)に、 法と言語学会副会長でもある 金城学院大学文学部 英語英米文化学科 水野 真木子教授 による司法通訳コラムを掲載していました。
そのコラムから、特に難しいと言われている「二重否定」について、まずはご紹介したいと思います。
二重否定
金城学院大学文学部 英語英米文化学科 水野 真木子教授 による司法通訳コラム より。
「本当ずっと見ていたのではないというわけではないんじゃないですか。」
「警察官に対し、事件のことで隠して話さなかったということはないんですね。」
「この調書に書かれていること以外に、全く他の事実がないということではないんですね。」
これらは実際の証人尋問で使われた表現です。このような二重否定(もしくは三重否定)を法律家はよく使用します。
私は研究(科研費研究課題番号:26370514)の一環として、弁護士の方々と、どうして尋問で二重否定を使うのかというテーマについてディスカッションしたことがあります。
弁護士の方たちは、法律家が二重否定を含む質問をする理由として、主に以下のことを挙げておられました。
- 証人や被告人が肯定の答えを出すよう誘導するため
- 過去と現在の供述の矛盾を明瞭に示すため
- 証人(被告人)のいいわけを防ぐため
二重否定にすることで表現が婉曲になり、否定しにくくなるのだということです。
二重否定は
正確に訳されているのか?
では、通訳人がついた場合、この二重否定はちゃんと正確に訳されているのでしょうか。それを解明するため、私は大学や大学院の通訳コースの学生に協力してもらい、通訳実験を行いました。使用した文章は上記の例文の3つめです。
「この調書に書かれていること以外に、全く他の事実がないということではないんですね。」
この文章には、二重否定と付加疑問の両方の要素が含まれています。37名の学生にこの文をその場で訳してもらいましたが、結果は以下のようになりました。
-
二重否定をきちんと訳せた人はたった4名でした。
例)Except this written statement, it’s not true that there’s no other thing which hasn’t been said, right? -
否定になっておらず、単なる疑問文や付加疑問文になっているのが7名いました。
たしかに、二重否定は肯定文と置き換えることができますが、ニュアンスが完全に変わってしまいます。
例)Is there any additional information besides this statement? -
否定が1つ、つまり、意味が逆になってしまった人が15名もいました。
例) There is no other fact besides this written statement, right? -
完全に意訳した人は6名でした。
例) Except written statement, you hide other facts, don’t you?
この実験から、二重否定がきちんと訳せた人がたった10.8%、意味が逆になった人が、なんと40.5%もいることがわかったのです。
二重否定は聞き手を混乱させます。おそらく、混乱するから否定しにくいのです。
でも、法律家が駆使するその戦術は、通訳付きの法廷では効果を発揮することができないようです。
金城学院大学文学部 英語英米文化学科
水野 真木子教授 著
(株)ミーハングループ Facebook 掲載
「司法コラム」より
通訳不可能な
話し方
聞き手を混乱させ否定しにくくさせる二重否定の質問は、通訳が必要ない法廷においては効果を発揮する場合もあるが、通訳が必要な法廷では【話者が意図した様に訳す事は難しく、 効果を発揮しないどころか、間違った訳を発生させる理由にもなり得る】事が、水野先生の実験で立証されました。
しかし、この「二重否定」や「不可疑問文」を含んだ質問以上に、通訳不可能な話し方をする法律家の方もいらっしゃるようです。
同じく 水野先生の「司法通訳コラム」から、続けてご紹介します。
あなたの発言なんだけど、あなたが●●さんに対して電話を貸してやれと言った後、●●さんが検査の前に電話してくれと言った後に、あなたは検査中は呼べないからと言ったりしてるんだけども、これはあなた、検査の後に電話を貸して弁護士呼んだらいいだろと、そういう趣旨じゃないんですか。
これは、実際の裁判の証人尋問の際に、弁護人がした質問です。一体何が言いたいのか、一度読んだだけではわかりません。これを音声だけで聞いて通訳することは、まず不可能です。
私が傍聴した裁判でも、これに似た複雑な質問がされることが多くありました。
このような質問になってしまうのは、証人などの証言の矛盾を突きたいと思う時や、出来事の時系列が複雑になっているような場合です。こんな質問をされると、通訳人はたいてい訳出に失敗します。
日本語自体がよく分からないので、訳しても支離滅裂になり、質問された証人や被告人は、当然まともな答えを返すことができません。または、「質問の意味が分かりません」というだけです。
このような状況になっても、通訳人にはまったく責任はありません。質問者の質問の仕方が下手なのです。上記のような質問なら、以下のようになるべきです。
あなたは●●さんに対して電話を貸してやれと言いましたね。
その後、●●さんは検査の前に電話してくれと言いましたね。
その後、あなたは検査中は呼べないからと言ったりしましたね。
これは、検査の後に電話を貸して弁護士呼んだらいいだろと、そういう趣旨じゃないんですか。
このように一つの文章で一つの事柄を聞くのが、効果的な質問の方法です。尋問技術の訓練を受けた法律家による証人尋問や被告人質問は、通訳人にとっても非常に訳しやすいものです。
法律家は通訳人に正確に訳すことを望みます。
そのためには法律家が話し方の工夫をする必要がありますが、それと同時に、どのように話せば正確な通訳の実現につながるのか、通訳人の側からも情報提供していくことが重要です。
金城学院大学文学部 英語英米文化学科
水野 真木子教授 著
(株)ミーハングループ Facebook 掲載
「司法コラム」より
他国の法廷での状況
英語圏(アメリカ)の法廷でも、この様な「わかりにくい、整理されていない質問」はよくあります。
英語では文法的にNGとされてますが、二重否定も出てきますし、他にもわかりにくい表現もよく出てきますが、通訳が付く裁判等ではその都度 異議が唱えられます。
異議には compound (複合的な質問=つまり質問を詰め込みすぎ)、vague, ambiguous (漠然とした、曖昧な質問) などあり、二重否定はこの2つの理由が含まれる質問として異議が唱えられます。
シンプルな表現 / わかりやすい表現にしない理由は、どこの国も同じで弁護士や検事側が訴訟に勝つためですですが、通訳者や翻訳者には非常に厳しい現場となります。
法廷の場以外でも
気をつけたい事
法廷の場では、相手のミスを誘ったり、証言を引き出そうとするために、二重否定や付加疑問文を使い、意図的にわかりづらい質問をします。
それは一種のテクニックでもあります。
しかし通常の会話でも、例えばビジネスの場で急いでいたり、ミスなどが発生して感情的になったりした場合、1つの発言が長くなったり、「誰が」や「何が」が不明瞭になったりする場合や、二重否定や、付加疑問文を意図的ではなくても使ってしまう場合もあります。
現在、日本国内のビジネスの場にも、日本語が母語でない人が居る場合もあります。
いくら相手が流暢に日本語を話していたとしても、日本人でもわかりにくい話し方をすれば、日本語が母語でない相手は日本人以上に混乱します。
通訳者の有無や、通訳が可能か不可かに関わらず、法廷の様な相手のミスを意図的に誘う様な場でない限り、出来るだけ相手にわかりやすく話す事は、誤解や混乱を招かない為にも大切なポイントです。
司法通訳他
水野先生著作の書籍
弊社代表通訳の右田アンドリュー・ミーハンは、水野真木子先生が中村幸子先生と共に編著された大阪教育図書が出版する「法廷用語・表現対訳集」にて、訳語監修を行っています。
これらは一般書店ではなかなか手に入れずらいですが、水野真木子先生の他著作は、以下Amazonリンクから入手可能です。司法通訳のみならず、コミュニティ通訳や、通訳実践トレーニングの本もございますので、ご興味のある方はチェック頂ければ幸いです。
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ミーハングループでは、訴訟関連や司法関連の通訳や翻訳を数多く手掛けております。
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